森の香り* 魂のヒーリングセラピー

愛知県小牧市|占い・スピリチュアル| ハートの声を聴くカウンセリング、自然で健やかなご自身をサポートする レイキ&オーラヒーリングを提供しております

社会に適応できた人たち

平成の時代、社会に適応できた人たち、というのは、
例えば、仕事が嫌でもお金のためならと納得して収入が得られた人たち、
努力さえすれば成功できた人たち、
というのは、
自分に驕りがある。


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時代は、大きくシフトしているというのに、
未だに、これからも自分一人の力でやっていけると信じており、
これまで通り人の助けなどいらない、と思っているふしがある。

自分の力でやっていけると思っているから、
人の助けを借りようとはしないし、人の助けを借りない代わりに、
自分も人を助けようとはしないし、
自分がいっぱいいっぱいで余力がないので、
助けを求められることも煩わしいと思っている。

そういう人が案外多いのではないかと最近思うことがある。

それらの人たちは、そうでない側の人間に対して
弱いとか、努力が立りないとか、
ダメな人間だ、とかいうレッテルを貼っている。

なんと情けないことだろうと思う。

時代はシフトしているのだから、
これまでと同じやり方では上手くはいかなくなるだろう。

実は、適応できなかった側の人間たちは、
一足早く時代を読み取り、じっと息を潜めながらも力を蓄えている。

そういった時代を読み取る感性や知恵を持つ者を、
価値がないと切り捨ててしまうことの愚かさよ。

他者の価値を見極めることができない限りは、
いつまでも無駄な苦しみは続くだろう。




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[ 2023/09/17 14:37 ] | TB(-) | CM(-)

「修行」について

以前、お知り合いになったお坊さんがいました。

見た目は、つるっとしていて色白で、
線が細くて、しなやかな姿の
いかにもお寺の小僧さんという感じの。

実際は、ご住職をされていると聞いて、
少し驚きました。

まだ青年のように見えましたから。

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会話をさせていただく機会もあり、
その人となりに触れさせていただき、
気づかせていただいたことがありました。

それは、違和感として感じられていたことですが、

一貫して、物事に対する考え方が「合理的」であったことです。

それゆえ、決断の時には、素早くきっぱりとしていて、
それはお坊さんらしく立派にも思えましたが、

けれども、
会話をしていると、こちらの気持ちが
空しく寂しくなってきて、
人としての温もりが感じられない。

感情を排除して、
いかに理性的であるかを重視し、
「修行」もその為のものだと、
お坊さんの話し方や振る舞いから、
そのように捉えていらっしゃるのだと見受けられました。

もう少し言ってしまうと
ご自分にとって、それが都合が良い、
という感じでいらっしゃいました。

まるでロボットのようで、
しかし、ロボット化することが、
修行の目的であるはずがないのに。

ご自分では、そのことに気が付いていらっしゃらない。

それが「修行」ならば、
社会人経験をした方がよっぽど修行になると、
そう思いました。

職場では合理的であることが都合の良い面があり、
感情(心)を排除することが、
立派な大人の振る舞いであると、
そう思わされてきました。

しかし、そのことによる弊害は、
今の社会に起こっている多くの問題に結果として現れています。

自分の感情(心)を押し殺して生きている人が、
人の痛みに共感を持つことができるでしょうか?

「お坊さん」と一言で言っても、
仏教の教えを正しく守り、
尊敬に値する素晴らしい行いをされている方がいる一方で、

誤った解釈で修行をされている方もいるんだと、
少なからず、驚かされました。

大切なことは、
真理を正しく見据える眼を養うこと、
同時に、理性を育んで行くこと、
合理的であることばかりでは決してない、
と強く思わされる経験でした。




[ 2022/09/10 13:19 ] | TB(-) | CM(-)

見本とする人

自分がどうしたって出来ない偉業を成し遂げた人と
自分を比べて、自分なんか、と思ってしまうことがあります。

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しかし、そういう人がいて下さるからこそ、
人は謙虚でいられますし、

そういう人の後ろ姿を見本として、
また前を向いて生きていこう、
そんな気持ちになることができます。

また同時に、自分自身の昔の経験がふと蘇り、
自分は、こんな苦しみを乗り越えてきたんだな、
と改めて思うきっかけにもなりました。

直接面と向かってお会いすることはなくても、
そういった人の表現するものに触れられることが有難いことです。

メディアやインターネットの普及によっても、
今は、それが容易な時代となりました。

けれども、だからこそ、
自分は、どういった人を見本とするか、
どういった情報を取り入れるかの取捨選択においては、
よく吟味して選んでいく必要がある時代だとも思います。







[ 2022/09/04 12:13 ] | TB(-) | CM(-)

自己紹介

今日は、改めて、私の紹介をさせていただきます。

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いろいろな方に薦められて、10年程前から、
個人セッションのための準備をしてきて、
一昨年から、個人でサロンを始めました。

「自分は何をしていきたいのか分からない、
自分が何に向いているのか分からない」
自分は、どんな資質を持っていて、どんなことに関心を持てるのか、
エネルギーを活かしていけるのか、
それらを一つ一つ明らかにし、自分を知ることで、
自信を持って、今を納得しながら、人生で与えられた可能性を生きていただけますよう、
オリジナルのセッションをさせていただいています。

マスターナンバー「11」と77に近い知恵の数字「7」他、
メインとなる数字が全て素数であることからも、
バランスに導く素質、高いヒーリング能力が私の特長です。
※マスターナンバーの「66」以降は、近い人はいますが持っている人はいません

カウンセリングでは、叡知(名前や生年月日などの事実)に基づいた情報を
参考にしながら、一人一人の方に時間を掛けて対応させていただいております。
主観的になりがちな一方的にメッセージを伝える方法ではなく、ご自身の中から答えを見つけていただくことを重要視しています。

今は、まだ思い込みにより、本質からズレてしまっている方が沢山いらっしゃるように思います。

ご自身が本当に生きたい人生の方向へと軌道修正し、
自分の人生に真剣に向き合いたい方への、
お力になれればと思っています。




[ 2020/02/14 13:21 ] | TB(-) | CM(-)

あの歌はもう生まれない

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ずっと聴かないでいた歌

聴くと哀しくなるから聴けないでいた歌

歌に込められたものの大きさが

今になって解りました

魂のルーツ

それが、どの歌にも刻まれている

あの頃の私は、まだ何も解っていなかった

魂は分っていたのに

歌から感じられる 美しいもの

切なくて 哀しくて 聴き続けることができなかった

現実の世界とはかけ離れ過ぎているようで

あの美しさはまるで 夢で嘘だと思えました

どれだけの覚悟だったのでしょうか

その思いを届けに来ることが

その勇気や 真っ直ぐさや 美しさが

そして、その美しさをもってしては
この世界には とどまれなかったことも

随分と誤解もされたみたいだけれど
どうにもできなかったことも、今なら解るようになりました

あなたの歌を聴くと

涙も汗もどっと流れる

まるで浄化されているみたい

こころが満たされる

ありがとう

私はこれからもずっとあなたの歌を聴き続ける

自分を思い出すために



昭和の終わりと平成の始まりに起こったバブルの時代こそ、
地球においての「物質文明」の最高期ではなかったかと最近思います。

そして、そんな時代だからこそ、闇を照らす一筋の光のように、
後世まで残されていくような作品が生まれていたように思います。

もしかしたらもう、あのような切なさ、情感は生まれてこないかもしれない、
この人達が残したものの尊さ、偉大さに、
人はまたこれから改めて気付いていくのではないでしょうか。


「平らに成る」

平成という時代は、便利さ豊かさを追い求める一方で、
まるで、心の大地に、アスファルトを敷いて、
平らに固めてしまった時代だったのではないかと思います。

肥沃な大地に蒔かれている種が、
宇宙から降り注ぐ愛の光に目覚め始めて、
早く芽を出したいと叫んでいる、
私たちは今そういう時を生きているのではないでしょうか。

がんじがらめになっているアスファルトを壊すのは、
簡単ではないかもしれません。

でも、その種を芽吹かせること、花を咲かせること、
実を結ぶために自分の中に蒔かれた種ならば、
芽を出す力はまだ失われてはいない。

バブルの崩壊以降は、
精神のレベルを超えて、情報通信技術が急速に発展し、
情報量が格段に増大しました。

そういった時代によって私たちに担わされた課題は、
個人の責任において情報の取捨選択をしていかなくてはならない、
そういった時代の始まりだったのではないでしょうか。

それは、自らの選択によって、
人生を創造していく、人生を創造していける、
ということでもあります。

しかし、何を基準に選択をしていけば良いのでしょうか?

愛を基準にしますか?恐れを基準にしますか?

発展を選びますか?衰退を選びますか?

魂の目的を選びますか?従来の常識・思考で選びますか?

どちらを選ぶかによって、
人生が大きく違う方向に変わっていく
そこが分岐点になるということに、
今私たちは気付いていく時にあるようです。

どちらを選びたいですか?

どちらを生きたいですか?

今、どちらを生きていますか?







[ 2019/10/28 16:11 ] | TB(-) | CM(-)

優しさの源

先月の連休前に4ヶ月ぶりに甥っ子が遊びに来ました

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家には猫がいますが、
知らない人が来ると一目散に逃げてしまいます

甥っ子が来た時も、
こたつに入って隠れてしまいました

しばらくすると猫もだんだん慣れてきて、
こたつからおそるおそる出てくるようになりました

甥っ子は何にでも興味を示し、
猫のことも怖がりません

猫がこたつから出てきた時に、
つつつと猫の所に寄って触ろうとしました

すると猫はまたこたつの中に逃げようとしましたが
頭だけ隠して静止しました

それで甥っ子は猫の体を触ることができて、
満足そうに撫でてあげていました

猫は、逃げることよりも、
自分の体を触らせてあげる優しさを優先したのかなぁ・・


甥っ子は、常に手に何かを握っていたいようで、
持つと決めた物は、手から放そうとしてもなかなか放しません
その時の力はどこから沸いてくるのだろうと思うほどに力強いです

けれども、甥っ子は、猫を撫でるときも、
お花を触るときも、
誰が教えたわけでもないのにとても優しく触れます


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庭に優しい淡いピンクのお花が咲いていて、
そのお花の周りがふんわり輝いて見えるようでした

もしかしたら仏様の優しさをお花にしたらこんな風じゃないかな
と思えるくらいに優しい色合いでした

その優しい色が、どうも甥っ子の雰囲気に重なったので、
帰り際に抱っこしながら、
「このお花、○○ちゃん(甥の呼び名)に似てるよ、覚えておいてね。」
と伝えたら、

ぽそっと
「のんのした」と言いました

「のんのした」とは、
仏壇の前で手を合わせる、という意味だと思います

その時、甥っ子には言いたいことがちゃんと伝わって
理解できているんだと思えて
じんとしてしまいました


甥っ子は、1歳と半年を過ぎ、
言葉を覚え始めたばかりですが、
ちゃんと優しさを持って産まれてきているんだな、
そして、猫にだって、優しさがあるんだな、

そんなことに改めて気付かされた出来事でした



[ 2019/05/15 14:07 ] | TB(-) | CM(0)

叔父さんは山だったんだ

昨年の春、岐阜の小高い山の開けた場所の
新しくできた病院に、
もういつ何があってもおかしくない叔父さんが入院していた。

病院の駐車場は広く、周りは木々に囲まれていて、
その場所から見下ろすと、町が見えた。

その日は、今日のように爽やかで、
良い天気の日だった。


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私が中学校くらいまで、
お盆とお正月には、
母の実家である叔父さんの家に、
帰省するのが常だった。

親戚皆がその家に集まり、
お酒の大好きな叔父さんは、
夕食どきには、嬉しそうにユーモアたっぷりに
栓抜きで音を鳴らしながらビール瓶を片手に持ってきて
ニコニコしながらお酌をするのが常で、
その映像が今も記憶に残っている。


母から聞いていた状態では、
これが叔父さんに会う最後になるかもしれないと
覚悟を決めて、
病室の扉を開けた。

横になっているかと思ったら、
ベットに座っていたので、ホッとして、
母からずいぶんと痩せてしまった、と聞いていたけど、
思ったほどでもなくて、少し安心した。

叔父さんの嫁の叔母さんと、
私からみていとこのお姉ちゃんがいて、
お姉ちゃんに会ったのは、何年ぶりだったろう。

叔父さんはこんな時でも、
ユーモアたっぷりで、
以前と何も変わらない叔父さんのままだった。

叔父さんは座っていたけど、
ゆっくり横になって、
唐突に、「山が見たい」と言って、窓の外を見た。

それは、私たちが居ることも忘れてしまったような
唐突さだった。

窓の外には、遠くの方に、
雪が残った雄大な山が見えた。

その時、
叔父さんはもうこの世界とあちらの世界の中間にいるみたいだなと思えた。


その時が、叔父さんに会った最後になった。

私の中では、私の叔父さんに対するイメージは、
それ以前からどうしてだか、山だった。

いくつもの山を越えたところに母の実家はあり、
家の前にも山があったし、
そういったイメージがあるだからだろうと思っていたけど、
最後の最後に、私の叔父さんに対するイメージは、確信になった。

叔父さんは、大工で家族を養い、
山と共に生き、
最後まで山を好きでいたんだ。

人は亡くなる前に、何かメッセージを残してくれるものだと思う。

叔父さんは、深夜、誰も居なくなった病室で、一人亡くなった。

あの時、山を見たい、と言った叔父さんの心は、
山の雄大さに、静けさに、重なっていたのだと思う。

もうこの世界に未練はなく、
潔く、きっぱりと、自然に還っていく、
そう思わせられるものがあった。

人を笑わせることが好きだったけれど、
山が好きで、山の自然のように、
ちょっと厳しくもあった叔父さんらしい、
旅立ち方だったように思う。

あの田舎の思い出は、
叔父さんと共にはもう一生積み重ねることができなくなってしまったけれど、
叔父さんがまとっていた山と共にあったあの雰囲気は、
親戚が集まれば、
その場所でまた感じられるはずだと思う。

私が住んでいるこの場所ではなかなかあの独特な感じは
思い出せないけれど、
あの場所でなら、また感じられるだろう。

変わらないものは何一つないけれど、
私は、叔父さんが残してくれた、
山と共にあるあの厳しくも何かに守られていた感じを、一生大切に、
忘れないでいたいと思う。




[ 2019/02/18 15:46 ] | TB(-) | CM(0)