森の香り* 魂のヒーリングセラピー

愛知県小牧市|占い・スピリチュアル| ハートの声を聴くカウンセリング、自然で健やかなご自身をサポートする レイキ&オーラヒーリングを提供しております

好きなこと

「好きなこと」とは、

たとえ、「やってはいけない」と言われても、
やってしまうようなこと。

そういう「好きなこと」をしていると
お腹が減らないし、ご飯を食べることも忘れてしまう。

私の場合は、“透明なお水、キレイなお水” が好きなので、
水槽のお水をきれいにしておくことに夢中になってしまう。


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お水をきれいにするためなら、
時間を忘れ、ご飯を忘れ、
ふとした時にも、水はどんな具合だろうか?
ということが気になってしまう。

最近は、良いものが出ていて、
お魚等が出した排泄物をきれいに分解してくれる微生物が
元気に活動できる環境をいったん作ることができれば、
その後は、メンテナンスも最小限で、
きれいなお水を維持することができるというものだ。

そのキレイなお水の中で、
お魚や水草がイキイキとし、
あるいは優雅に泳いでいる姿を見ることで、
私は癒される。

自分が手を掛けたことで、
水のキレイさが保たれ、
お魚や水草がイキイキとしていることに
喜びを感じる。

人は、自分が手を掛けたことが、
目に見える形で成果が出ることに、
喜びを感じるものなのだろう。

誰かのためになるからとか、
それ以前に、
それをすることで自分が喜びを感じられるかどうかだ。

そういう時間を持てれば持てるほどに、
人は、幸せな人生を生きたと思えるのだろう。




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[ 2023/10/05 13:28 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

私にとっての幸せとは

「私にとっての幸せとは?」
という自分への問いに向き合うことが多くなった。

それだけの今は時間が与えられているからだと考えると、
有難いことでもあると思う。

とりわけその問いについて考える時には、
決まって現在の“お仕事”について考えている時で、

果たして、私の目的(お仕事)は、
他者から必要とされているのだろうか?という
そもそもの根本的な問題について問い直す必要があるのでは?
と思うに至る。


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「スピリチュアル」や「占い」「ヒーリング」のお仕事を行うにあたって、
難しい点は、こちら側の意図する目的が、
お客様に伝わり難い点があると思う。

多くの場合、スピリチュアルや占い、ヒーリング
に求めるお客様の希望・目的は、

・何も話さなくても、説明しなくても、自分のことを理解してもらい、認めてもらいたい
・自分の人生の苦しみは、自分に原因があるのではなく、他者かもしくは、
何か目に見えない外側に原因があるはずだから、その原因を知り、解決してもらいたい
・単純に当たるかどうかが目的であり、そこを期待している
・お金を払うのだから、解決は他人に任せたい
・自分の前世を知り、あわよくば特別な人物であったり、位の高い人物だったと言われ、自分に自信を持ちたい
・自分はどんな神様に守られているかを知り、自分に自信を持ちたい

以上のような目的が大半ではないかと思う。

しかし、以上の目的の裏には、
優越感、依存心、わがまま、責任逃れ、傲慢さ
などの心情が隠されていて、

それらは、私の目的とは、相反するものなのである。

ここで大事なポイントは、
それらの心情が悪い、と言っているのではなく、
私の目的とお客様の目的が異なっている、
ということが問題だという点である。

人は、果たして意図する目的と異なるものを
喜んで望み受け取れるものだろうか?

判りやすく言えば、
私の目的は、“魂“にとっての悦びにつながるもので、
お客様の希望する目的は、“エゴ”にとっての歓びにつながるものである。

だから、お客様の立場としても、
内心は、自分の魂にとって良いだろう
ことは分かっているけれども、エゴを喜ばせられないのか・・・
ということに多少の不満足感を持たれるはずで、
それがセッションを受ける上でためらう原因にもなっているのだろうと思う。

お仕事における私にとっての悦びや幸せとは、
お客様の“魂”にとって良い導きをさせていただくことで、
そのことで悦びを感じてもらえることだが、

それは、お客様自身が自覚しにくい場合もあると思うし、
時間が経った後でようやく自覚できることもあると思うし、
そもそもお客様が異なる目的を持たれている場合、
このお仕事を提供する価値が失われてしまうことになる。

“本当の幸せ”を望むのであれば、
魂にとっての悦びを目的にするべきで、
いくら“エゴ”を歓ばせてもその場しのぎのものでしかない。

けれども、スピリチュアルや占いのお仕事は、
エゴを喜ばせられるセラピストに人気が集まる。

人には自由意志が与えられている以上は、
この現状において、私の方から成すすべはない。


果たして、このお仕事をしていて、
私は幸せだろうか?


私にも、自由意志が与えられている。

結局、人は、経験を重ねなくては、
物事の価値を見極めることはできない。

私にできることは、今与えられている時間を、
精一杯有意義に過ごすことだと思う。

そのために、必ずしも、このお仕事に執着する必要はないと思っている。




[ 2023/09/27 12:00 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

甥っ子の夢

今年も夏休みが始まったので、甥っ子たちが遊びに来た。

いつも通り元気な様子で帰って来てくれるのでホッとしている。

今回一番印象に残っているのは、
“夢”の話をした時のことだ。

眠って見る“夢”ではなく、
将来何になりたいかの夢のほう。

何も考えずに、ふと「そーちゃんの夢は何?」
と聞いてみた。

すると、
「花火をね、沢山ひとつにしてね、
どっか~んと爆発させてね、
虹を作ってね、
みんなを笑顔にすること!
うん、僕の夢はこれだ~!」と言った。


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最後の、“みんなを笑顔にすること”
の部分で、声のテンションはマックスになり、
歓喜で宣言するような感じだった。

そうか、この子は皆を笑顔にしたくて
生まれて来たんだろうな、
と疑いなくそう思えた。

甥っ子は自分で言いながら、
自分の夢に気づけたことに嬉しそうだった。

甥っ子は、普段からよくダジャレを言って人を笑わせたり、
躊躇なく見知らぬ人に話し掛けては、
人を笑顔にしている。

自覚していなくても、
自然と人はそういう行動をしてしまうものなのだと思う。

私的には、“虹”が出てきたこともポイントだと思った。

人は、波動が上がり、笑顔や歓びや平和の状態になると、
ハートから虹が出るというようなことを聞いたことがあるし、
オーラが綺麗な人が集まると、
それは、さながら天上からは美しい虹のように見えるに違いない。

甥っ子も、地上をレインボーにするべく、
生まれて来てくれたようだ。



[ 2023/07/31 16:58 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

掛け替えのないもの

甥っ子たちを、キッズ用の遊び場へ連れて行くと、
水を得た魚以上にはしゃぎ回り、大声で叫び、
いったいどこでそんなストレス発散法を覚えたのかと思うくらいだ。



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甥っ子は、はしゃぎながらも時おり、
私の顔をチラ見する。

何度かのチラ見の後、
「マリンちゃんも、一緒に遊ぼう」と言って、
遊具に引っ張って行こうとする。

甥っ子は、私に監視されていることが気掛かりなのではなく、
「一緒に楽しく遊んで、笑顔でいてほしい」
という純粋な気持ちがあるからのようだ。


家の中でも、
甥っ子同士でチャンバラごっこを始めた時、
下の子が、おもちゃの刀を真上に振りかざしながら、
追いつくはずもない上の子を追って、テーブルの周りをぐるぐると回り、
追いつくどころかお兄ちゃんの方が後ろに追い着いてしまっているのに
なおも諦めずに真剣に追い掛ける姿が可笑しくて、
そんな時にも、お兄ちゃんの甥っ子は、私をチラ見しながら、
あははと一緒に笑う。


誰に教わったわけでもないのに、
小さな子でも、人が笑顔でいること、
楽しんでいることが好きで、
一緒に笑顔でいたい、楽しみたい、
ただ、それだけの純粋な思いが心に宿っている。


帰る時になり、
「マリンちゃんに、お話があるよ」
と言って、
「ぼくのことを忘れないでね。話はそれだけ、それだけだよ。」
と伝えてくれた。

それは、寂しさや甘えの気持ちからではなくて、
「僕のことを思い出したら、気持ちが明るくなるからね」
ということを伝えたかったのだと思う。

少しは寂しさもあるのかもしれないけれど、
甥っ子と話すときは、テレパシーで通じるので、
片言で充分なのだ。


帰る時になり、もう帰るというのに、
理不尽なことで爺ちゃんに叱られたものだから、
駅までの道すがらは、
憮然とした表情で、何も話さないくらい低いテンションだったけれど、
駅に着き、改札を渡った時には、
思いっきり変顔をして、さよならをしてくれた。

自分が笑えない時にも、
しばしのお別れで私が寂しいだろうから、
人を笑わせようと一生懸命にしてくれる、
その気持ちが、掛け替えのない宝だと思う。





[ 2023/05/10 12:56 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

両親の留守に

両親が旅行に出掛けたので、
この時ばかりにできることはないかと考えて、

考えたが結局、
昨年末の大掃除の時にできなかった
お風呂場の掃除をすることにした。


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気合いを入れなければやる気が起きない
“天井”と“タイル”の掃除をするつもりが
それ以外のところにまで掃除がはかどった。

掃除は始めるまでは腰が重いが、
始めてみると思ったより、
もっともっとという感じでできてしまうことも多い。

ここ4ヶ月くらいの間、いつやろうか??
という考えが頭をよぎって気がかりだったので、
その考えからやっと解放された。

あまり一気にやり過ぎると掃除が億劫になってしまうので、
いつも無理はしないようにと心掛けている。

いつもやらないところの大掃除は、
寒かったり、暑かったりする日は、
それだけで体力を奪われ疲れるので、
今日のような暑くもなく寒くもなく
爽やかな日に掃除はおすすめです。


スピリチュアル業界では、
よく”断捨離“とか、”掃除をしなければならない”、
などと言われますが、

うちの両親は、あまり物を捨てないので
物が多く、掃除をしたくても物が邪魔でしずらく
そのことが、結構なストレスになっており、

けれども最近は、その辺は、
両親のスタイルを尊重することにしています。

でないと、訴えたところで聞かない両親を前にして
私の心が蝕まれてしまうためです。


スピリチュアル業界は、
正しいことを言っているようで、
実は無責任というか、言い争いの種を撒いている
のではないかと思えることが多々ある。

もちろん、掃除も断捨離も必要な範囲で行うことは
大変良いことですが、
スピリチュアル的な観点から言われると
なんだか焦りが出て心穏やかでなくなる。

少なくとも個人の自由な主体性を無視している傾向がある。

と私は思うが、
大体の人は、正しいことを言われているので、
疑いなく受け入れ、
自分を叱咤して、掃除に励んだり、
無理やりにでも物を捨てたりするのだろう。

スピリチュアルな情報は鵜呑みにはせず、
妥協点を見極めて、柔軟な心で捉えることが
心の平安につながる、と思う。




[ 2023/04/20 15:27 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

極と極のはざまに

年に3回か4回しか会うことのできない甥っ子たち。

駅までの30分くらいの道のりを迎えに行くと
数ヶ月ぶりに会った甥っ子たちの反応が
いつも違っていて笑わせてくれる。

私を発見するなり、
元気さ100%で、わーっと掛けてきて、
これからの未来がただただ楽しみでしょうがないという感じで。



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そんな甥っ子のママであり、私の妹との間には、
どうしたって、合わない価値観の違いというものがある。

これまでは、私と妹との間だけのことで済んだが、
甥っ子ができ、距離を置くだけでは済まなくなった。

今、甥っ子たちと、どう接するかで、
甥っ子たちがどんな大人になり、どんな人生を歩むかに、
影響を与えてしまうのではないかと考えるからだ。


妹と言い合う場面を甥っ子に見せることは避けなくてはならず、
だからと言って、見て見ぬ振りもできないため、
私の中で試行錯誤が続いている。


簡単に言ってしまえば、

妹との間には、人生を「不安」と「心配」で生きて行くか、

「安心」と「信頼」で生きて行くかの、

実に大きな食い違いがあるということだ。


もちろん、私は、

安心と信頼で生きて行くと決めているが、

その根拠をどう説明したところで妹の耳には届かない。

自分は正しい、というゆるぎない信念があり、
それに反すること、都合のわるいことに関しては、
上手くスルーする術を身につけているので、
焼け石に水のようなものだ。


しかし、甥っ子の未来が掛かっていると考えると、
無力感で心が固まってしまう。


そのくらい、難しい問題であるし、
この時代だからこその経験であるとも言える。


甥っ子も頭の良い子なので、
「ママのケチ!!」と訴えるようになった。

けれども、決して、
ママのことを嫌いになったりはしていないようだ。

そこは、きっと揺るぎない魂の決意があるのだろう。


私自身も、甥っ子のためにと、
少し気が焦っていたのかもしれないと考え、

甥っ子とも少し距離を置いてみたが、
それでも甥っ子たちは、拗ねたりすることもなかったので、
これでいいんだと思えた。

こんな風に試行錯誤しながら、今できるベストを尽くしながら、
進むしか道はないのだろう。

それ以外に、どんな方法があると言うのか?


甥っ子達を駅に見送った帰り、

私を取り巻いていた、
甥っ子たちのユーモアとか、笑い声とか、
そういうものの存在の不在が、
ほんの少し切なく感じた。

ずっとこれからも、
久しぶりの帰省で、駅で私を見つけてくれた時には、
楽しみでしょうがないという光をまとって
帰ってきてほしいと思う。

そう願っている。





[ 2023/04/05 12:55 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)

海の深さを知る

海の深さを知らず、
浅瀬で遊んでいるのもいい

この海の先がどうなっているかなんて、
誰も気にも留めていないようだ


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私は、この先の、
海の底、その深さを知りたいと思った

この海のまだ見ぬ底は、
どんな世界が広がっているのだろうと


私は沖へ出て、
周りには誰もおらず、
それは想像以上に辛く険しい道


浅瀬であっても、
海は、いつも安全で優しいわけじゃない
大波が来て、沖へ流されることもあるだろう


海の深さを知っていなくては
溺れてしまうかもしれない

海の深さ、危なさを知っているからこそ
岸へと導くことができる



もう一度人生をやり直すならば

同じ道を辿るか?と聞かれれば


やっぱり私は、

海の底を、その深さを探しに行くのだろう




[ 2022/09/25 13:27 ] 家族・私のこと | TB(-) | CM(-)