森の香り* 魂のヒーリングセラピー

愛知県小牧市で、ハートの声を聴く、占いカウンセリング、自然で健やかなご自身をサポートする、レイキ&オーラヒーリングを提供しております

猫の子宝

今年の1月に保護した猫ちゃんのお腹には子猫が3匹いて、
3月には無事に産まれ、
現在、計4匹の猫ちゃんたちと一緒に暮らしている。


     image154.jpg


保護した当時、天気予報では連日のように“寒波”と言われていたくらいだから、
ママ猫ちゃんは、最も寒い時期に家にやってきたのだけれど、
それゆえにお腹が空き、食欲も旺盛なのだろうと思っていた。

けれども、いつまで経っても食欲のわりにスリムな体系を維持し、
お腹だけがポッコリと膨らんでいる状態が続くので、
これはもしやと思い、
しかし、疑いようのない確信に至った時点では、
まるでちびまる子ちゃんのおでこに引かれた縦線のように、
顔面が青ざめるような気持ちになった。

その時点では、“里子”に出さなくてはならない、
良い人に貰ってもらえるだろうか、
そもそも里親をどうやって探したらよいのか、
などの思いが頭を掛け巡り、
しばらくは呆然と過ごしていた。

そんな時に、
たまたま猫の複数飼いをしている人のテレビの映像や
YouTubeを見たり、ブログでも紹介されている人がいて、
なぁんだ、5、6匹くらいなら飼っても大丈夫そうじゃないか、
と思えてきた。

まるで用意されたように次から次へとそんな映像や
情報がやって来るように見つかるので、
これはそういう流れが来ているのだから飼えるのだろうと思うと
あっという間に安心感に包まれた。

何匹産まれてくるかは分からないけれど、
きっと縁のある魂たちが来てくれるに違いない、
と思うと楽しみにもなってきた。

家族は、「1匹でも大変なのに・・」と言って、
後ろ向きな立場で、
それは無理もないことだと思ったけれど、
私の決意は変わらなかった。

生まれて来た子の中で、どの子を里子に出し、
どの子を育てるか、という取捨選択などできないと思えたし、
たとえ里子に出したとしても、幸せに暮らしているだろうか?
といつまでも思い続けることも辛いことだと思えた。

北海道では、生き延びるのに過酷な環境下であるため、
8匹産まれることもあるというが、
この地域はそれほどの環境ではないし、
無理な状況にはならない、
1月に強い意志を持ってママ猫ちゃんがやってきたあたりから、
これは、神さまから託されたこと、あるいはプレゼントであり、
私の次のステージが用意されたということだろう、
という思いがあった。



現在、子猫たちが産まれてから3ヶ月が過ぎ、
ママ猫ちゃんを1月に保護してから5ヶ月が経った。

“野良のメス猫”で、“子持ちの猫ちゃん”を飼うことは初めてだったが、
想像以上に大変な日々だった。

特に子猫が歩くようになってからは、朝起きると
部屋の中が想像もしていなかった事態になっており、
その度に、部屋の中の物を置き換えたり、必要な物を設置したりと
工夫に工夫を重ね、
“ふすま”などは無残な状態になってしまったが、
なんだかんだとようやく落ち着いて来つつある。

家族も可愛い子猫を抱いて嬉しそうなので一安心している。

しかし、心が折れそうになったことが何度あったことか。

それでも私がなぜ飼うことを続けられるかというと、
どうしたら、猫ちゃんたちが幸せに暮らせるだろうということを考えて、
部屋の中を工夫したり、接し方を模索したり、
ということが苦にならないからだと思う。

猫ちゃんたちから貰えることと言えば、
くつろいでいる姿や
気持ちよさそうに安心して寝ている姿を見られたら、
それ以上は望んでいない。

その姿は、この世で最も幸福なものの姿の現れではないかと思え、
日々のルーティンの手間もすっかり忘れて癒されてしまうからだ。

これからも、そんな姿が見続けられるように、
幸せだと思い続けてもらえるように、
工夫を重ね、接し方を模索して行きたいと思っている。






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[ 2023/06/26 12:52 ] 猫のこと | TB(-) | CM(-)

野良猫がやってきた

今年の1月のある日、
玄関の扉の向こうに、
ちょこんと座る明らかに猫ちゃんと分かるシルエットが
こちらをじっと窺(うかが)っていた。


     image138.jpg


私は思わず、「えっ!」と叫んだ。

これまで、玄関から少し離れたところでこちらを窺う猫ちゃんを見掛けたことはあったが、
扉のすぐ向こう側に鎮座している猫ちゃんは初めてだったから。

私の声に驚いて、猫ちゃんも一瞬ビクッとして
サッと逃げて行ってしまった。

初めてのことだったので驚いたのは当然だが、
それ以上に、私は嬉しくてワクワクしていた。

そのシルエットから感じられた猫ちゃんの意志の強さのようなものに、
すでに心を打たれていたからだ。

だから、あ~逃がしてしまった。
と残念な気持ちになっていた。

そんなに驚かなくて大丈夫だよ、と少し謝る気持ちで、
猫ちゃんの行方を追って外に出た。

すると、用水路沿いを、とぼとぼ一匹、
長い尻尾を揺らしながら歩き去って行く後ろ姿を見つけた。

私は胸がきゅんとした。

まだ大人とは言い切れないサイズの体で、
この寒空の下、一匹狼で生きているのかと思うと、
すごいなぁという思いがした。


翌々日には、大寒波が来ると予報が出ていた。

大丈夫だろうか、ちゃんと生きて行けるのだろうか、

何もしてやることはできないのだと自分に言い聞かせながら、
また来てくれるだろうかと淡い期待を抱きながら、
後姿を見送った。



その翌日のことだ。

またしても、同じシルエットが玄関の扉の向こう側に鎮座していた。

驚きと、わくわくした気持ちで、今度はゆっくりと近づいて行ったが、
やはり同じように逃げてしまった。

きっと、この寒さの中、お腹が空いているのだろう。
安心して寝られる場所もないのではないか。

もう、現れないかもしれないが、
もしかしたら、お腹の足しにはなるかもしれないと、
鰹節と田作りを細かくして、お水と一緒に玄関の扉に置いておいた。

もしかしたら、飼うことになるかもしれない。

その責任を自覚しての餌やりだった。



私には、かつて、学生の一人暮らしの時から飼っていた猫ちゃんがいた。

19歳になるまで共に連れ添った茶トラのオス猫。

あれから、5年が経とうとしている。



もう十分だと思っていた。

猫の命は、人と比べれば短い。

年を重ねるにつれて、もう先が長くないことの恐さを、
いつも頭の片隅に置きながら、
惜しむように一緒にいるのは、もう嫌だと思っていた。

元気なままで、もっと長く一緒にいたいと思うのは、
人間のわがままでしかない。

病院の先生から、
「これは治らない病気です。」
と、告げられた時が一番悲しかった。

いよいよその時がやってきたことを、
残酷な現実がとうとう目の前にやってきたのだと、
こらえても涙が込み上げてきた。

自分の悲しみに痛む心を守るように、
必死でそのことを受け入れるしかなく、
その後は、覚悟を決めた。

何より良かったと思えたことは、
落ち着いた気持ちで無事に最期を迎えられたことだと思う。

ちゃんと責任を果たせたという思いが救いだった。

だから、もういいと思っていた。


なのに、昨年の冬、
いつの日だったのか記憶は定かではないが、
「また猫を飼うんだ」、
という確信にも似た直感がやってきた。

実は、それよりも以前から、もし今度猫を飼うなら、
こんな名前がいいな、と考えていたりもしていた。

それは、メス猫に似合う名前だった。



しかし、このご時世、何があるか分からないのだから、
諦めの気持ちの方が大きかったように思う。


もし、縁があるならば、自分からそうしなくても
何らかの方法で、飼わずにはいられなくなるはずだと思っていた。


鰹節と田作りが茶碗から消えていたのは、
ほんの、数十分後のことだったと思う。

まさかと思って見に行ってみたら、見事に空になっていた。

やっぱり、私は嬉しくなった。


早速、キャットフードを買いに行き、
徐々に距離を縮めて行けば良い、と気長に思っていたけれど、

猫ちゃんは、始めこそ、シャーと威嚇してきたものの、
案外すんなりと身体を触らせてくれて、身体を摺り寄せてきて、
こちらが離れさせるのが大変なくらいにすぐになついた。

食欲も旺盛で、すごい意志を持って家に一緒に入ってこようとする。

やっぱりもう飼うしかない。



こうして、猫ちゃんは、自らの意志で、安住の地を得た。

逞しく幸運なメス猫ちゃんだ。

用意していた名前で呼ぶと、
ゆっくりと瞼を閉じながら、ニャーと優しい声で鳴いた。

気に入ってもらえたみたいだ。


翌日は、大寒波で、凍えるような寒さだった。


良かった。本当に良かったと思う。


こうして、新しく、猫ちゃんとの生活が始まった。



続きはまたのいつかの機会に・・






[ 2023/03/15 14:49 ] 猫のこと | TB(-) | CM(-)